某県の某市にあると言われる、いちくら街。
――の真ん中に横たわる、巨大な商店街。その通路の片隅で、わたしはひとり狼狽えていた。
「……日宮フォト、どこにあるんだろう……」
辺りをきょろきょろ見回しても、特にそれといった建物は見当たらない。万事休すと頭を抱える。
こんなことなら、ちゃんと道を聞いておくべきだった。
話は遡ること一時間前。祖父の形見のカメラが壊れたとか何とかで、「日宮フォトという名前の店に行け、そこの店主なら修理してもらえる」とだけ言われて、商店街に繰り出したのが運の尽きだった。
すぐ見つかるかもしれない、と思ったわたしを過去に戻って燃やしたい。ここまでうろうろし続けて、ヒントのヒの字も得られなかった。
「……はぁ……」
そろそろ足が疲れてきた。少し一休みしようと、シャッターの下りた店の軒先に腰を下ろす。
汗ばんだ肌に、涼し気な風が気持ちいい。首からぶら下げた得物は、こうしている間にも重さを増していく。早くどうにかしてお家に帰りたいなあ……。
特大級の溜息を漏らす。すると、見たことのない男性がわたしの前に立ちはだかっていた。
「ひゃわぁ!?」
思わず情けない声が出る。それもそのはず、その男性は仏頂面でこちらを見据えていたからだ。
第一印象。この人、怖い――!
取って食われる、とはまさにこのことかと思い巡らせたり、お父様お母様先立つ不孝をお許しくださいなどと唱えていると、彼はふと口を開いた。
「……あんた、どうかしたのか?」
「ひっ……ご、ごめんなさいっ!」
怖すぎて反射的に目を瞑った。食べられる……!
「何言ってんだ? どうかしたのか、って聞いてんだよ」
「え……?」
冷静に問い直す彼の態度で、わたしはふと我に帰った。視線を戻すと、彼はまだ仏頂面を崩していない。
「俺にできることがあるなら遠慮せずに言え。善処くらいはする」
……あれ、この人、もしかしていい人……?
やっぱりまだ怖いけど、勇気を出して聞いてみよう。
「あ、あの、日宮フォトっていうお店、知らないですか……?」
そう聞くと、彼は案外意外そうな顔をした。
「日宮フォトか……? すぐそこだ、付いてこい」
「えっ……?」
「来るのか来ないのか、どっちなんだ」
「あっ……はい!」
平調子の声に急かされて、わたしは彼の後を急いで追いかけた。
日宮フォト、と書かれた古ぼけた看板の先には、小さい客間のようなスペースが用意されていた。
「着いたぞ」
「あっ……わざわざありがとうございます……」
男性にお辞儀をして、店主が出てくるのを待つ。なぜか男性も背後で何かを待っている。そのまま少し待つ。
男性が、訝しげな目をしてこちらに問うた。
「……お前、ここに何の用だ?」
「えっ……?」
どうしてそんな質問をするのか、と狼狽する。彼の三白眼が揺れるたび、狭い空間の圧迫感が増していく。
こ、怖いけど、言わなきゃ……!
「あ、あの……ここの店主さんは、どこに……?」
押し出した声が震えている。心臓が早鐘を打って、頭に血が上ってしまいそうだ。
わたしの声を聞くと、即座に彼は言葉を返した。
「は?」
「ひっ……!?」
すごく不服そうな声色だ。わたし、何かダメなこと聞いたかな……!?
ごめんなさいお父様お母様、やっぱりわたし先立ちそうです……!
捨てられた子犬みたいなわたしを目にして、呆れたように彼は言葉を発する。
「何言ってんだ? 俺がここの店主だ」
「えっ……えええっ!?」
彼の思いがけない一言に、柄にもなく大きな声が出てしまう。
この人が店主……? 視線だけで客を追い返せそうなこの人が……?
それに見た目も、看板を背負って立つ、というほど年老いているわけでもないし。
あれからこれまで、訳の分からないことばかりだった。
「二年前に親父が逝っちまってな。それからここを継いでんだ。何か文句あるか?」
「い……いえ……」
滅相もございません。
そんなことより、早く本題を切り出さないと。
「あ、あのっ! 祖父の形見のカメラなんですけど……こ、壊れちゃって。その、お父さんがここへ行けばいいって……」
彼は眉をしかめた。さっきから、何というか、表情と言っていることが食い違っている気がする。素直じゃないだけなのかもしれない。
「まあ……本来の仕事じゃないが、できないことはない。貸してみろ」
わたしからカメラを受け取ると、奥のカウンターにのそのそと入り込んだ。店の名前が書いた古ぼけたエプロンを着ていると、たしかに店主らしく見える。
修理を始めて数分。店内を見回すほどの心の余裕が持てたわたしは、壁のそこら中に写真が貼ってあるのに気付いた。破顔する赤ちゃんの写真や、今にも咲きそうなつぼみの写真など、彼の仏頂面からは似ても似つかないような作品ばかりだった。
気になってしまい、直接尋ねることにした。
「この写真、全部店主さんが撮られたんですか……?」
「ああ」
「写真、好きなんですか?」
「ああ」
「…………」
「…………」
会話が終わってしまった。わたしもかなり口下手な方だけど、彼も同じくらい会話が苦手みたいだ。
会話のきっかけが見つからずにやきもきしていると、意外にも彼の方から口を開いた。
「……そういえば、名前、伝えてなかったな」
「え?」
「日宮蛍。呼び方は何でも構わない」
一方的にそう伝えると、彼――日宮蛍さんは再び視線を下げてしまった。
「じゃあ……蛍さん、で」
「好きなように呼べ」
名前を教えてもらったのが何となく嬉しくて、こちらからも自己紹介をする。
「わ、わたし、一条仄って言います」
「そうか。……良い名前だな」
そう言うと彼は修理の手を止め、おもむろに手元にあった別のカメラを取り上げた。
そして、それをわたしの方へ向ける。わたしがその意味を理解する前に、彼はシャッターを切った。
「ほぇっ!?」
かしゃり、と軽快な音が鳴った後、機械音と一緒にペラペラの用紙が排出された。
それを眺めて、彼は一言。
「……すっげえ間抜け顔」
「ひ、ひどくないですかっ……!?」
どうやらインスタントカメラだったらしい。不意討ちで撮っておいてその言葉はないでしょう、とか反論したかったけれど、そんな言葉には耳も貸さず、彼はそれをファイルの一ページに貼り付けた。
「イチジョウホノカ……っと」
「……な、何してるんですか?」
呟きながら何かを書き込む彼の行為を見咎める。
「俺、人の名前を覚えるのが苦手なんだよ。だからこうして写真撮って集めてんだ。……ま、お前ほど間抜け顔で映ったやつは初めてだが」
「ひどいですよ……っ!」
仏頂面に初めて笑顔が灯った。それは歓喜というより嘲笑に近いものだったけれど、それでも笑ってくれたのがなんだか嬉しかった。
カメラを弄りながら、その無表情は次の一句を継いだ。
「……このカメラ、使い込まれてるな」
まるで小動物を愛でるかのような目で修理の手を進める。
祖父のことを言ったはずなのに、なぜかわたしまで褒められた気がして思わず「ありがとうございますっ」と声が出た。
彼は怪訝そうな顔をしたが、すぐに続けた。
「このベルトとか、すっかり擦り切れちまってボロボロだ。あんたんとこのじいさん、余程カメラを好きだったらしいな」
「はい……わたしが小さい頃から、写真とか、賞状とかがいっぱいあって」
幼い頃のわたしはそれが何なのか理解していなかったけれど、ここに来てその功績がわかったような気がした。
会話が止まったところで、もう一度周りの写真を見渡す。どの写真も確かな一瞬を切り取ったものばかりで、素人目に見ても良い作品なのがよくわかった。
「きれい……」
思わず言葉が漏れた。
「……写真の良さがわかるのか」
作業の手を再び止めて、彼が顔を上げる。まさか反応されるとは思わなくて狼狽する。
「えっと……そんな、専門的なことはわからないんですけど……すごく、きれいだなって……」
「そうか? ……いずれにせよ、綺麗だと感じられるのは良いことだ」
彼は平坦な声色でそう褒めてくれた。少しくすぐったい気持ちになって、「……そう、ですか」と俯いた。
少し気持ちを落ち着けたかったのに、彼は新たな話題を振ってきた。マイペースなのか、この人……?
「あんたは写真、撮るのか?」
「わ、わたしは……あまり……」
「家族は?」
「いえ……おじいちゃん以外は、写真撮らなくて……」
今思い返せば、これを修理しろっていう依頼も、質にでも入れるつもりだったのかもしれない。
「……勿体無い」
「えっ?」
蛍さんがぼそりと何かを呟いたのを、わたしは聞き取ることができなかった。
聞き返そうと思ったけれど、彼は相変わらずの無愛想な顔で作業に没頭している。
やめておこう。そう考えて口をつぐんだ。
彼が修理を続けている間、ふと祖父のことが記憶の隅でちらついた。
数ヶ月前に他界した祖父。おじいちゃん、と呼んでわたしが慕っていたその人は、季節ごとの自然の表情や、生命の誕生や終焉を愛する風流な人だった。
結婚した当の祖母が呆れるほどの写真家で、古ぼけた大きな――蛍さんが褒めてくれた――カメラを持って、あちこちに撮影に行っていた。時々わたしもそれに付いていって、花の名前とか鳥の名前を教えてもらっていたっけ。
昔からカメラや写真を見て過ごしてきたせいか、なぜだろう、今いる空間――蛍さんの工房が、心地よく感じる。蛍さんのカメラに向かう相貌が、ファインダーを覗く祖父のそれと重なりすらした。
祖父は、一瞬の時間を切り取って永く取っておけるのが写真の醍醐味だと言っていた。じゃあ、彼はどうなのだろう……。
「あの、えっと……蛍さんは、写真のどういうところが好きなんですか?」
居ても立ってもいられなくなって、休憩を取る彼に問い掛けてみた。
彼は少し考える素振りを見せた後、「――そうだな、」と切り出した。
「店を継いでからは仕方なく仕事してたんだが……そうしてる間に気付いたんだ。写真ってのは、その時の思い出を一生の思い出にするもんなんだって。……そっからは、俺も少し写真の良さがわかった気がした」
「一生の……思い出……」
写真屋として、様々な人の写真を撮るであろう彼の見方。それは、私の大切な人の言葉とほとんど違っていなかった。
何となく、祖父が認められた気がした。おじいちゃんが積み上げた写真も、手に入れた賞も、ひとつとして間違ってなかったんだ。
「おじいちゃんも、同じこと言ってました。そういうの……素敵だと、思います」
「……そう、か」
葬儀のときはもちろん人並みに悲しんだけれど、今更になって愛惜の思いが湧き上がってきた。わたしを孫として、両親にも劣らない愛を注いでくれた祖父。そんな彼の人生の象徴たる形見が、わたしの目の前にある。
……いや、違う。形見というより、それは既にわたしと積み重ねた『祖父との思い出』そのものだった。彼が過ごした時間プラス十六年が、このカメラには込められている。
そんなもの、手放すなんて……とても。
「修理、終わったぞ。フィルムも入れておいた」
突き出すような彼の声が、私を思考の海から引き上げた。
「あっ、ありがとうございます」
受け取ったカメラは、新品同様に動くようになっていた。もちろん、外側の傷や、擦り切れたベルトはそのままに。
おじいちゃんの形見が治ってよかった。埃を被っているだけだなんて、カメラが可哀想だったしね。
「本当に……ありがとうございました。お世話になりました」
「……待ってくれ」
お辞儀をして店を出ようとすると、彼は不意にわたしの手を握った。
「ひゃっ!? な……なんですか?」
不意討ち気味の行為に素っ頓狂な声を上げつつも、向き直ってその意味を問う。
彼は少し言い出しづらそうな顔をしたが、首に手をやって口を開いた。
「……なんだ、その……お前も、写真撮らないか? 技術だったら、俺が教える」
それは、あまりにも唐突で突飛な提案だった。腰が抜けた人みたいな表情をするわたしに、彼は続ける。
「俺の写真に、綺麗って言った……そういう感性を、俺は、無駄にしたくない」
そう言って目を逸らす。口ではそう言うけれど、カメラに向かう目や手つきを見ていたら、その真意が別にあることなんてすぐにわかった。きっと彼も、わたしと同じことを考えている。
わたしがこれを使い続ければ、祖父とわたしが積み上げた思い出を、さらに高く、長くできる。そして、わたしの子供に写真を見せて語る日が来るかもしれない――そんな風景を幻視した。
思い出はここでは終わらない。ここからまだ見ぬ未来へ、一歩ずつ広げていくんだ。
その旅路は、とても眩しくて、楽しいものに見えた。
「……はい、喜んで――!」
某県の某市、いちくら街に佇む日宮フォト。ここがわたしの出発点だ。
無愛想で素直じゃないけど、写真に対する熱意は誰にも負けない日宮蛍さん。そして、大切な人の思いを継いだ、この世にたったひとつのカメラ。
ふたりと、ひとつ。みんなで紡ぐのなら、きっと楽しい旅路になるだろう。
まずは記念に、光の受ける店の看板をファインダーに収めた。
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